mixiのお友だちが以前に仰っていたこと。
「奴隷の全裸の正装には幾重にもマゾの月日が刻まれていて、全裸に首輪の姿を晒し続けた年月は生き恥という記憶の衣になって、もうただの裸ではなくなっている。」
身に纏った哀れさや惨めさも奴隷の心の中の正装なのだと思いました。私たち奴隷は裸のままでもそれだけではないこと、うれしく思いました。今までずっと辱められてきたことや嬲られてきたことは、私の心の中で、奴隷としての誇りになっています。
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Poo’s CaféⅢを更新しました。お時間がございましたらご覧ください。